BULLY

Ye fka Kanye Westの新作『BULLY』を聴いた。

前作『VULTURES 2』は控え目に言っても一度聴いただけで、その酷さを周りの友人に話して笑いを取らないとやってられないくらいの代物だったので、その点では大いに改善している。悪名高い「husband」に象徴される「I can fix her」的な見苦しい光景、どういうわけかYouTubeからリッピングした音源が含まれていたり、生成AIを音楽的実験ではなく単なるボーカルの手抜きとして使用するといったプロ意識の欠如、この期に及んで「Bomb」で娘を出すという厚かましさに至るまで、既に限界の向こう側に到達していた愚か者のファンに対する最終通告としては、前作は申し分のない一枚だった。

「なんでまだカニエなんか聴いてるわけ?」と聞かれたら、どう答えるべきなのだろう?

どんな理由を並べたとしても、それを正当化することはできない。長年のファンとして一つ言葉を選ぶのであれば、それは「介護」になるのかもしれない。激動の2010年代を通過する上で、その音楽は大きな支えになった。『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』と『Yeezus』の2枚は、今の自分の音楽の好みを間違いなく決定付けているし、2016年にアメリカで観た『The Life of Pablo』ツアーの衝撃は、あれから10年を経た今でも鮮烈に記憶に刻み込まれている。

で、その10年にあったことと言えば、混乱と正当化、怒りと受容、悲しみといったところだろうか。異なる症状であるとはいえ、ADHDに幾度となく振り回されながら何度も人生を棒に振ってきた自分にとって、双極性障害を公言し、その対処に明らかに失敗しているYeの姿を完全に否定することができなかったというのはあるだろう。いつしか、作品を読み取るよりも先に、Ye自身の言動や行動の向こう側にある背景を読み取ろうとするようになっていた。

ここ最近の作品の中では、『BULLY』はまだ聴ける一枚になっている。何か面白いものを作ろうという意思は感じられるし、サンプリングの使い方は初期の3作品を想起させる。醜悪なリリックは鳴りを潜め、巧みなトークボックス使いで高揚感を描き上げたAndré Troutmanは本作のMVPだろう。彼が参加した「ALL THE LOVE」は本作のハイライトだ(それでも『808s & Heartbreak』のどの収録曲にも到底及ばないが)。

だが、その全てが、この10年でYeが引き起こして来た混乱の後始末によって台無しになっている。プロダクションはチープで奥行きがなく、辛うじて一つのアイディアを楽曲へと落とし込むことができたくらいのところで止まってしまっている。録音は生々しいといえば聞こえが良いかもしれないが、まったくもって磨き上げられておらず、まるで直前に慌てて収録したものをそのまま採用しているかのようだ。総じて、「あぁ、きっと多くのプロデューサーやスタジオ、エンジニアに断られたのだろう」という経緯が実際の音からもありありと伝わってくる。本作で最も多くクレジットされているSheffmadeは、詳しくは知らないけれど、そんな状態のYeに協力を申し出てくれた数少ない制作プロデューサーの一人なのだろう。で、そんな彼のGeniusのプロフィール画像がジブリ風AI画像なのはどういうことだ?

とはいえ、それ自体は些細な問題だ。本作のムードを決定付けているのは、Ye本人が本作に確信を持っていないように感じられるような「迷い」そのものにある。1曲目を飾る「KING」で、Duke Edwardsのサンプリングで高らかに王の帰還を宣言したにも関わらず、Yeが放つ第一声には説得力が欠けている。その声には力がなく、まるで用意された台本を読んでいるかのようだ。前述した2枚にあったような尊大な佇まいはそこにはなく、それは音自体の弱さとも無縁ではないだろう。まさか、彼のアルバムを聴いていて「退屈だ」と思う日が来るとは思わなかった。

ここに、『BULLY』最大の問題がある。本作ではさまざまな形で過去の作品群の魅力を再現しようと試みており、そのいくつかは実際に効果を発揮していて、彼の音楽を求める人々の欲求をある程度は満たしている。だが、初期の大胆不敵なサンプル使いから2010年代後半の尊大極まりない作品群に至るまで、そうした音楽の源流となっていたのは、Ye自身の根拠のない自信と強大なエゴに(半ば本能的とも言える)音楽的な感性が奇跡的に合致し、多くのクリエイターとともに途方もない試行錯誤を繰り返しながら、その「ヴィジョン」に辿り着くという過程にあった。だからこそ自分は彼の音楽に魅了されたのであって、「それっぽい音楽」がどれほど作られたとしても、説得力が欠けている時点で、同列に並べることはできない。

WSJの奇妙な広告から『BULLY』に至るまで、まるで今のYeは誰かに睡眠薬を打ち込まれ、「ファンが求めるYe」を再現するために、誰かの書いたシナリオを無理やり演じているように見える(実態はともかくとして、まるで、映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』のブライアン・ウィルソンのようだ)。それが本人の意思か、そうではないのかは知ったことではないが、介護を続ける身として言わせてもらうならば、こんな光景は見たくなかった。