帰郷

先日、出張のために5日間ほど地元の仙台に滞在することになった。

拘束時間はそれほど長くなかったので、学生時代に数え切れないほど足を運んだ仙台駅前を、何度も何度も歩いて回った。スマートウォッチの歩数計を見ると、毎日のように一万歩を超えていた。

今の職場に就いてからは、2ヶ月に1回くらいのペースで日本各地の都市を巡る機会に恵まれている。その度に、何も考えずにその辺を歩き回るようにしている。ちょうど1ヶ月前にも、雪の積もった札幌の繁華街を呑気に歩き、偶然見つけたカレー専門店で山盛りのカツが乗ったカレーを食べていた。

首都圏から地方へと海外旅行客の関心が移っていったのと呼応するように、大きな駅を出た時の景色は、それとなくどこも似たような感じになっていて、判別するのが少しずつ難しくなっていく。海外旅行客が増えること自体は大歓迎だ(業種的に、自分の収入にも繋がっている)。だけど、そのために街自体を寄せていくというのは、あんまりお互いのためにはならないんじゃないかという気もする。

去年、レディー・ガガのライブを観るために、はるばるシンガポールまで行った時にも、似たようなことを考えていた。「おぉ、あれは有名なマリーナベイサンズじゃないか」と思って足を運んでみたものの、その中にあるのは見慣れたハイブランドの店舗や世界的なチェーンばかりで、つい「ただの高級なイオンじゃないか」と心の中でツッコんでしまったのだ。バスに揺られて辿り着いた、地元の人に人気というお店で、痴話喧嘩をするカップルの横で汗だくになりながら、強い磯の臭いとガッツリ効いたスパイスの香りが詰まったラクサをむしゃむしゃと食べていた時の方が、よっぽど記憶に残っている。

久しぶりに仙台駅前を歩き回っていると、変わったところもあれば、そうでもないところもある。予想通りドン・キホーテやヨドバシカメラは大きくなっていて、以前よりも随分と物々しい存在感を発揮している。一方で、特にブームというわけでもないし、感動的に美味しいというわけでもないのに、なぜかいつも行列ができていた鯛焼き屋には、この日も多くの若者が並んでいた(思うに、あの立地が絶妙なのではないだろうか。「たまには鯛焼きを食べてみるのもアリなんじゃないか」と思うような、そんな場所に建っているのだ)。

他の都市と比較すると、仙台というのはなかなかに奇妙な場所だと考えさせられる。どの都市も主要な駅を中心に円のように栄えていくのに対して、仙台は駅から続くアーケード街が、まるで一本の巨大な動脈のように機能している。PARCOのような分かりやすい施設もアーケードとは別にあるのだが、あれはどちらかというとゲームのサブクエストという感じで、オープン当時もそこまで活気があるわけではなかったし、今もそれほどではないという感じだった。

そうして歩いていると、あることに気付く。他の都市だと(より地方でも)早めにエンカウントするような、ルイ・ヴィトンやシャネルといったハイブランドの店が、いつまで経っても視界に入ってこないのだ。実際、これらの店舗が入っているような百貨店は、アーケードの後半に配置されていて、印象に残りづらいところがある。

次に思い出したのが、学生時代のこうしたハイブランドに対する印象だ。言い方に気をつけないといけないのだが、当時はいわゆる「金持ちのマダム」が持っているようなイメージで、20~30代の層とは全然結びついていなかったし、これっぽっちも憧れる場面がなかったのだ。

そうしたイメージが変化したのは、間違いなく上京してからだろう。(BAD HOPなどのヒップホップやBLACKPINKなどのK-Popの影響も相当にあるだろうが)いつの間にか20代でハイブランドに強烈に憧れるようになり、女性にシャネルのコットンをプレゼントするような恥ずかしい大人になってしまっていた。東京で暮らしていると、ハイブランドは真っ先に目につくのである。目に入らなければ、憧れることもないのに。

「なんて単純なんだろう!!」という、恥ずかしさと発見の喜びが入り混じったような複雑な感情を抱きながら、アーケードを折り返す。学生時代に何度も通った中華料理屋に足を運ぶ。場所こそ変わったものの、無駄に量が多くて、味がそれなりで、注文周りがあんまりこなれていないのは変わっていない。1,000円以上払ってしまうと、急いで食べないと「多すぎる」という現実が胃袋に容赦なく突きつけられるタイプの店だ。結果、「頼みすぎたな」と後悔して店を出たけれど、その感覚も当時のままである。

うん、絶対にこっちの方がいいし、多分海外から来た人も楽しいんじゃないかな(現金決済ONLYが多いのはちょっとアレだけど)。そう思いながら、20時を目前にすっかり人気の少なくなったアーケードを歩いて、帰路についた。