コスパの悪い趣味

恐らくこの数ヶ月くらいでもっとも力を取り組んでいるプロジェクトがある。ホラー小説を原作としたファンメイドのTRPGシナリオだ。上條一輝の『深淵のテレパス』と、その続編となる『ポルターガイストの囚人』を、それぞれクトゥルフ神話TRPGというシステムを使って遊べるようにした。よく一緒にTRPGを遊ぶ知人に声をかけて、4組(8人)くらいに遊んでもらっている。

昨年の夏に『深淵のテレパス』を読みながら「これはTRPGに向いているのではないか」と思ったが最後、実際に形にしたくてたまらなくなってしまい、そのまま勢いで形にしたのだ。「勢い」とはいっても制作にはそれなりに時間がかかっており、シナリオのベースとなるテキストの文字数は、『深淵のテレパス』が約45,000文字で、次に作った『ポルターガイストの囚人』では約85,000文字に到達している(もちろん手入力だ。写字自体が目的でもあるので、AIには一文字も書かせていない)。普段メディアに寄稿している記事が一つあたり4,000文字くらいなので、およそ30記事分くらいの労力をかけたことになる。

コストパフォーマンスを考えれば、圧倒的に割に合わない。もちろんお金なんか取らないし、シナリオ内には大量の原作のテキストが入っているので、ネット上に公開することもない。先ほど4組に遊んでもらったと書いたが、裏を返せば、たった8人のためだけにそれなりの時間を費やしたことになる。自分で言うのもアレだが、メディアに出す記事の方が、多くの人に届いていることを実感するし、それは当たり前の話だ(Mikikiに寄稿した藤井風の記事は月間1位になったんだぜ!)。

だが、『深淵のテレパス』を作っていくつかセッションを回してから、すぐに続編の作業に取り掛かったように、個人的にはとっても満足しているし、めったにないくらいの充足した感覚を抱いている。

自分が小説を読んだ時に感じた「この先どうなるんだろう?」、「なるほど、あの情報がここに繋がるのか!!」、「こうやって状況を解決するのか!」という、読者が辿るさまざまな体験と興奮を、どうすればRPGというプレイヤーの能動的なアクションを通して駆動するシステムで再現することができるのか?

ただ小説をそのまま反映するだけでは、単なる朗読会になってしまう。あくまでプレイヤーの行動に対する「結果」として物語が進まなくてはならない。だが、同時に、放置しすぎて何をすれば良いのか分からなくなってしまっても、面白くはないだろう。小説で起こる展開についても、プレイヤーの行動次第では変えてしまって構わないはずだ。これは小説の登場人物の物語ではなく、あくまでTRPGを遊ぶプレイヤーたちが紡ぐ「自分だけの物語」のはずなのだから。

こうした試行錯誤のプロセスには、明確な原作があるとはいえ、普段の自分がゲームを遊びながら考えていることや趣味嗜好、レビューで書いているような部分が如実に反映されていく。実際、「このキャラクターの役目はプレイヤーが担った方が面白い」と思って、小説に登場する極めて魅力的な人物を何人もカットしたりしている。さらに、セッション中にツール上で見せる画像や背後で流すBGMにも、自分の好みやこだわりが反映されていく(ホラーシーンでは、Aphex TwinやArcaを使ったりする)。もちろんこれを「オリジナル」というつもりはないが、思い入れは段違いだ。

さらに、プレイヤー側がどれほど自由に動こうとも、原作の魅力をブレないように描き切るためには、原作を丁寧に読み込む必要がある。シナリオを組み上げるために何度も原作を反復するにつれて、「なるほど、こういう語り方をしているのは、こういうことだったのか!」というストーリーテリングへの学びが深まっていく。それは結果として、普段触れるさまざまなメディアの表現に対する解像度の深化にも繋がっていく(つい先日、映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を鑑賞したのだけど、「なるほど、映画だとこうなるのか!!!」という感動に溺れてどうにかなりそうだった)。

だが、何よりも重要なのは、この遊びに付き合ってくれたプレイヤーと、長時間にわたってセッションを遊ぶ時間そのものだ。自分が「面白い!」と思ったものを、インタラクティブな形で遊んでもらい、「面白い!」と感じてもらえる。うまくいっていないと思った時は、必死で頭を巡らせながら対処しようと奮闘するし、うまくいっている時は即興のアイディアを織り交ぜながら、その体験を増幅させようとする。もちろん常にうまくいくわけではないけれど、セッションが盛り上がっている時の喜びは、他には代えがたいものがある。

もしかしたら、その背景にあるのは、普段、寄稿した記事にSNSコメントで寄せられる、たった一言だけ寄せられる「本当に読んだか?」と思っちゃうような軽いコメントを見て、「頑張って書いたのに…!」というフラストレーションを抱き続けてきたことによるものなのかもしれない。だが、この際、ネガティブな話は置いておこう。

二度のファンメイド制作を経て、次は完全に自作の小編を作ってみようと意気込んでいる。恐らくこれもネット上に公開することはないだろうが、そういう問題ではないのだ。目の前の相手と本気で向き合いながら「面白い」を伝えられるのであれば、コスパ最悪で上等である。