Survival Horror

学生の頃からホラーが好きだった。

日本のホラーよりは海外のホラーの方が好きで、学生時代は大学の寮から30分ほど自転車を走らせてTSUTAYAに通い、『悪魔のいけにえ』や『SAW』、『ショーン・オブ・ザ・デッド』といった新旧の名作をたくさん観た。映画館はもっと遠かったけれど、にも関わらず『ゾンビランド』みたいなB級映画を選ぶことが多かった。

上京して映画館に気軽に足を運べるようになると、その勢いはさらに加速した。A24やブラムハウスの台頭も相まって、数え切れないくらいの玉石混交な映画を手当たり次第に観るようになった。『罪人たち』や『サブスタンス』といったアカデミー賞すら視線を寄せるほどの高品質に磨き上げられた作品も大好きだけど、『マリグナント 凶暴な悪夢』や『ハロウィン KILLS』のようなエクストリームに振り切った衝撃作も、『シーフォーミー』や『インフィニティ・プール』のようなアイディアが光る一品も、『炎の少女チャーリー』(リブート版)や『イマジナリー』、『SKINAMARINK/スキナマリンク』のような映画としてはだいぶダメだけどチャームの光る駄作も等しく愛している(もちろん、『SAW X』や『ゾンビランド:ダブルタップ』も鑑賞済みだ)。

ホラーゲームも大好物で、『バイオハザード レクイエム』は既に5周して全実績を解除した。近年流行のリミナルスペース的ホラー(『POOLS』など)や、ひたすら脅威から逃げ惑うチェイス系(『Outlast』、『Poppy Playtime』など)も悪くはないが、好みに合っているのはサバイバルホラーだ。というわけで『Crow Country』と『Signalis』は最高だ。

そういった嗜好を辿っていくと、自分がホラーを好む理由が浮かび上がってくる。こう言ってしまうと身も蓋もないのだが、要はスカッとしたいのだろう。

ここで並べた作品の多くは、圧倒的な脅威に対して、最初こそ翻弄されつつも、最終的には虐げられていた主人公が力強く中指を突き立てるものばかりである(『サブスタンス』や『SAW』が象徴的だが、必ずしも分かりやすい勝利である必要はない)。つまるところ、それは憧れの投影だ。

日々を生きることは、苦難の連続である。とりわけ、現在のように必ずしも自分の理想と同じ方向に世界が進んでいないように見える時はなおさらだ。この世はラクーンシティであり、手元にはハンドガンどころかナイフすらない。

だからこそ、そうした状況下を切り抜けようとする人々の姿に共感や憧れを抱き、まるでヒーローのように見てしまうのだろう(少なくとも、自分にとってはアイアンマンより、ジグソウおじさんことジョン・クレイマーの方がよっぽど共感できる)。

もう一つ、ホラーの美点だと思っているのは、ある種のメタ構造にある。ジャンルが示すように、ホラーというジャンルは受け手側との「これからホラーを観る」という同意の元に成り立っている。そこには共犯関係やバトル的な構図があり、「さぁ、思う存分に私を怖がらせて御覧なさい」という海原雄山ばりのセッティングが施されている。本数を重ねていれば尚更で、ホラー系の作品が軒並みFilmarksで苦戦しているのはそういうことだ。

だからこそ、近年のホラーは規模を問わず先鋭化が進んでいる。ただゾンビを出すだけでは、もはや怖くもなんともない。では、現代の人々にとっての恐怖とは何だろうか?そして、その恐怖に打ち勝つためには、どうすれば良いのだろうか?

『サブスタンス』が若さ/老いを巡るボディホラーを描いた果てに、その根源となるシステムそのものを血塗れにしてみせたように、その矛先は「理不尽な日々を強いる構造」へと向かっていく。

ある時は「選ばれし者」として勝手に執着され、魔法が解けた瞬間に切り捨てられる『バイオハザード レクイエム』の主人公、グレース・アッシュクロフトの姿は、安易に消費されるビデオゲームの女性キャラクターの暗示のようにも思える。では、どうするべきか?やはり連中に対してマグナムをぶっ放すべきだろう。