いわゆる「音楽好き」と呼ばれる人、音楽についてよくSNSなどで語っていたり、場合によっては「ライター」という肩書きが付く人は、きっと最初からそうだったわけではない。恐らく、最初はテレビやラジオ、最近であればSNSから流れてくる人気のポップ・ソングを耳にして、「もっと聴きたい」と思って、その過程でさまざまな音楽との出会いを経験して、自分なりの道筋というのが決まっていったはずだ。
今でこそコーチェラの配信を楽しむくらいには音楽が生活の一部になっているが、自分の場合も、人生で最初に買ったCDは、当時めちゃくちゃハマっていたアニメ「鋼の錬金術師」の主題歌集で、ミュージック・ビデオよりも付属のDVDに収録されていたノンクレジット版のオープニング/エンディングの映像をよく観ていた。最初にハマったのはポルノグラフィティだったけれど、何度も聴くうちにASIAN KUNG-FU GENERATIONの「リライト」が一番良いと思うようになり、当時の同世代の多くがそうであったように、親に頼んで『ソルファ』をレンタルしてきてもらった(小学五年生の自分にとって、一人でTSUTAYAに出かけるのは相当にハードルの高い行動だったのだ)。レンタルしたCDには「荒吐」というシールが貼ってあって、当時はARABAKI ROCK FESTIVALのことなんて知らなかったので、「誰かの吐瀉物でもかかったのかな?」と真面目に想像していた。
同時期、猛烈にORANGE RANGEが流行っていて、特に「花」という曲は売れに売れていた。これも良いと思った当時の自分は、やはり親にねだって『musiQ』を買ってもらった。そもそも「シングル」という概念すら理解していなかったので、どの曲がシングルでどの曲がアルバム曲なのかすら分からず、「めっちゃ格好良い曲も、すっごい変な曲もあるな」と思いながらも、最初から最後まで何度も繰り返し聴いていた。その結果、アルバムの最後に収録されていた「ジパング2ジパング」というテクノ曲に妙にハマったのだが、今振り返ると、あれが自分のダンスミュージック好きの始まりだったと思う。当時の行動がなければ、ULTRA JAPANに行ったり、クラブに通ったりすることはなかったかもしれない。
自分のようなミレニアル世代は、「デジタルネイティブ」として語られることが多い。実際、当時の自宅には親が買ってきたノートパソコンがやってきて、ハガキの宛名を印刷したり、カメラで撮った画像をせっせと溜め込んだり、ワープロソフトで書類を作ったりといった用途に使われていた。当然、小五の自分も触るわけで、早速検索エンジンでアジカンやORANGE RANGEを調べることにした。
結果はご想像の通りだが、良いことはあまり書かれていない。『ソルファ』のレビューを眺めていると「前作の方が良い」という意見ばっかりで、ムッとしながらも親にねだって『君繋ファイブエム』をTSUTAYAに借りてきてもらった。これはまだだいぶ良い例で、ORANGE RANGEの場合はちょっと調べるだけで罵詈雑言の嵐がなだれ込んできて、ファンに対する暴言も大量に並んでいた。ショックではあったが、それでも抗えないほどの魅力が『musiQ』にあったのは確かだったので、しばらくはファンを続けていた。
後年になってよく語られているのは、2000年代という時代は、端的に言ってあんまり良いものではなかったということである。特にポップ・カルチャー周りに関しては顕著で、ブリトニー・スピアーズやジャスティン・ビーバーなどがゴシップの供給源として凄まじい勢いで消費され、インターネットがそれを増幅させた。日本も例外ではない。
もちろん全員が全員というわけではないだろうが、当時の「インターネットにおける言論」の起点となっていたのが2ちゃんねるであり、その文化が(今も色濃く残っているが)いわゆる「有害な男性性」の巣窟であったことを踏まえれば、当時の自分が目にした「声」の多くがその影響下にあったことは容易に想像できる。
良くなかったのは、小学生から中学生になって、よりロックへと嗜好が強化されていくにつれて、自分自身も「そっち側」に迎合していったということだ。当時のクラスメイトの女子に「ORANGE RANGE好きだったよね?」と聞かれて、「あんなバンド嫌いだ!」と返したことがある。その人はバンドのファンで、自分の返答に大きなショックを受けていた。その瞬間の悲しそうな表情が、なぜか今でも頭から離れずにいる。当時だって、自宅のCD棚には『musiQ』があったのだ。やがてラウド系やヒップホップを聴くようになったのも、「チェスト」のような曲にハマっていたことが、確かなルーツとしてあるはずなのだ。あんな返答をした理由は明確で、ネットの意見を見て「ファン=ダサい」という図式を受け入れ、ダサくないと思われたかった。ただそれだけである。なんてホモソーシャル的な発想だろうか!
残念ながらそうした勢いが止まることはなく、中学生になった自分は、いわゆるJ-Popを聴いている人を馬鹿にして、洋楽を聴くようになった自分を「他の人よりセンスが良い」と感じるような、分かりやすい「音楽好き」へと姿を変えていった。一方で、ちょうど当時躍進を続けていたLady GagaやPerfumeには抗えない魅力を感じていて、「あれはロックなんだ」と意味不明の理論を展開して、無理やり自分を納得させていた。
ここでふと思うのは、当時の自分は中学生という精神的に未熟な時期であったという「言い訳」があるとして、その頃に触れていた音楽メディアも、割と似たような論法を展開していたことである。「J-Popはダサくて、洋楽はクール、でもLady GagaやPerfumeはロックだからOK」。「ロックだからOK」ってなんだ??そもそも、「鋼の錬金術師」をきっかけにファンが増えたこと自体、ロックでもなんでもなくないか?
そうして2010年代を迎えると、色々なものの化けの皮が剥がれていった。SNSが台頭して、よりインターネット空間と現実の距離が近づくにつれて、当時の空気を快く思っていなかった人々がたくさんいたことが明らかになった。Lady Gagaは確かに特別な存在だったが、ORANGE RANGEやジャスティン・ビーバーだって、間違いなく特別な存在だった。ブリトニー・スピアーズの影響力については、今更語る必要はないだろう。
10年代以降、いわゆるロックの勢いが衰えているように感じられたのは、こうした「当時のロックを神聖化していたものは何か?」という問いにも、きっと繋がってしまうだろう。修復には長い時間がかかりそうだ。
だからこそ、「80年代や90年代があれほど擦り倒されていたのだから、いつかは来るだろう」と思っていた2000年代へのノスタルジアを見るたびに、「勘弁してくれ」という気持ちが止まらない(周りの友人は、自分が会うたびに話すTHE FIRST TAKEへの悪口にうんざりしているはずだ)。あの頃は全然良くなかった。当時の反省が、今の自分を作っているのだ。ORANGE RANGEが再び脚光を浴びる姿を見るたびに、懐かしいという気持ちよりも先に、あの子の悲しい表情が目に浮かんでしまうのだ。無邪気に喜ぶことなんてできるはずがない。