ノイ村

Village of "NEU!"

時折巻き起こる、「メディアのレビュースコアとユーザレビュースコア、どちらを信用するべきか」という話。

自分の中の結論としては、「メジャーな作品で無ければメディア・ユーザレビュースコアどっちもある程度信用出来るし、メジャーな作品だったらどっちも信用出来ない」というところで落ち着いている。これは音楽もゲームも映画も同様で、とりあえずメジャーな作品のレビューに関しては、ひとつひとつのレビューについて「読んでみて、良いレビューかどうか」だけがポイントになってくる。正直なところ、平均点となるメタスコア・ユーザスコアについてはその価値は殆どないと思うようになった。

理由としてはシンプルな話で、これは特にゲームだとそうなのだけど、メディアレビューの場合はメジャーなタイトルだとなんとなくスコアが当たり障りのない感じになってくるのである。どんなに酷い作品でも7点くらいが落とし所ではないだろうか。理由は簡単で、点数が低いと滅茶苦茶炎上するからである。

一方でユーザスコアも大概で、特に”The Last of Us Part 2″が顕著なのだけど、作品のクオリティを度外視して極端な反応を示すことが多いので、点数が安定しないのだ。っていうか0点爆撃、お前のことだよ。いくらストーリーが気に入らなかったからって「特に目立ったバグが無くて、それなりに快適に操作出来るTPS」に0点は無いだろう。だって動くんだぜ。

これの何が辛いって、今年の”Ghost of Tsushima”の話で、いや、凄い良い作品だし、初めてPS4のトロフィーをコンプリートしたゲームですよ。でも、”The Last of Us Part 2″が嫌いだからって”Ghost of Tsushima”をゲーム・オブ・ザ・イヤーにしようっていう動きがあるのには閉口しましたよ。全然GOTYでも納得出来る作品ではあるけれど、それで手に入れた賞なんて有り難くもなんともないですって。ていうか”The Last of Us Part 2″を全く知らない人ですら加勢してるのって、それもう別の政治じゃん。(The Game Awardsのユーザ投票部門の話)

そういう動きを見ていると、本当にユーザスコアって信用に値しないなぁと思ったりするわけです。ファンダムの強いBTSのアルバムとかもね、逆に凄くてもう9点台後半だったりするんですよね。あと逆にMegan Thee Stallionとかがヘイターの影響で下がってたりね。どちらも良い作品だと思うけれど、もう作品の評価とユーザスコアって全く関係無いんですよね。もう全てが印象で動いていくし、コミュニティのパワーがスコアに直結するっていう。うん、今のユーザスコアはインターネットのコミュニティの縮図を反映したものでしか無いのではないだろうか。だからそれほどコミュニティが大きくない、メジャーではない作品のユーザスコアはある程度見れるんですよね。それはメディアも同様で、やっぱり「それほど知られていない作品をピックアップしよう」と思った時には何かしらの感覚が働くわけで、そういう作品は聴いていてなるほど!と思うものが多かったりするわけです。個人的にはそれこそがメディアに求める役割だったりしていて。

じゃあメディアが信用出来るかっていうと、それはそれで難しいところで、ちょうど解禁されたばかりの『サイバーパンク2077』のレビューを見ていると、「素晴らしいゲームだけど、死ぬほど大量のバグがある」という評価が大半で、それでもメタスコアは9点台で、それって果たして正しいのかというと、やっぱり疑問で。だって大量のバグですよ?あとそれが残ってるのに高評価を与えるのって、なんか凄く業界的にも良くない気がするんですよね。でもちゃんと低い点数をつけたPC Gamerのtwitterのリプライ欄とか批判が殺到してますからね。やっぱり低い点数つけると炎上するんですよね。じゃあどうしろっていうのよ。

結局のところ、特にメジャーな作品については、スコアとかつけない方が良い感じになるのではとは思うところで。でもそもそも、誰が批評を読みたいんだろうっていう疑問も日増しに大きくなっていて。だって、本当に誰が読みたいんだろうなという。