ノイ村

Village of "NEU!"

数年前から僕のことを知っている人ならご存知かと思いますが、今でこそ”The Last of Us Part 2″や最近だと”ウォッチドッグス レギオン”のレビュー記事などを書かせていただくライターとなりましたが、実は僕は2016年になるまでビデオゲームから完全に距離を置いており、twitterなどでも9割が音楽についての投稿となっておりました。

その後、「ガジェットとして気に入った」という理由で2017年のNintendo Switchを発売日に手に入れるのですが、その時も”ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド”や”Undertale”には夢中になりましたが、ゲームの購入本数としては2~3ヶ月に1本程度で、それもほとんど任天堂のゲームが中心。2018年後半までそれほど熱心なゲーマーではありませんでした。それまで、最後に遊んだゲーム機は小学生の頃に買ってもらったニンテンドーDSまで遡ります。PS3 / Xbox 360 / Wiiの世代を通っていないんですね。

PS4を購入したのも、実は2019年の年始のセールがきっかけ。今でこそ大半の有名タイトルには触れましたが、それまでは(あれほど語っておいて)”Grand Theft Auto”シリーズすら遊んだことが無いほどです。Xbox Oneを購入したのも同年の年末のセールがきっかけでした。正直、今でも時々、自分が”ゲーマー”として語られることに違和感がありますし、「お前なんかが書くのか」と言われたら否定出来ないところもあります。

じゃあ何故、再びPS4を買ったのかというと、その理由は2つのゲームタイトルにあります。一つがNintendo Switchで偶然遊んだ”バイオハザード 7″。そしてもう一つが2018年に発売された”Red Dead Redemption 2″。

元々、”バイオハザード7″を遊ぶまで、所謂「リアリティのあるグラフィック」を追求したゲームを遊んでいなかったんですね。そこで、「今のゲームってこんなに凄いの!?」というグラフィックや完成度の面で衝撃を受けたのと、まぁとんでもなく怖かったので、YouTubeとかに上がっている実況動画に興味を抱いて、そこで有名配信者の「2BRO.」を知りまして、彼らの動画をきっかけに「もっと色々なタイトルを遊んでみたいなぁ」と思ったわけです。

で、”Red Dead Redemption 2″についてはゲーム云々というよりは、音楽好きとしての意味合いが大きくてですね。

この作品のサウンドトラックに、なんとディアンジェロが新曲を提供していたんですね。ゼロ年代以降のR&Bを語る上では絶対に避けては通れないほどの重要人物でで、様々なアーティストに絶大な影響を与えて、もはや「ネオソウル」を定義付けたといっても良いくらいの偉大なアーティストです。

彼は2014年に『Black Messiah』という14年ぶりの新作をリリースしていて、その時はもう音楽評論家や音楽好きが大騒ぎで、ちょっとしたお祭り状態になってました。僕はその時に初めて彼の作品に触れたのですが、もう”The Charade”という曲がとんでもなく良くてですね、かつ当時の”Black Lives Matter”の流れを汲んだメッセージ性の強い曲でもあって、一気に夢中になって彼のディスコグラフィーを辿りました。「なるほど、これは騒ぐのも分かる!」という感じでした。翌年のサマーソニック 2015で実現した来日公演にも(ファレル終わりの会場を全力疾走して)参加しまして、その濃厚なファンクを浴びて強烈に痺れました。この時も大騒ぎだったと思います。

そんな彼が4年ぶりに新曲を出した!!でも、”Red Dead Redemption 2″って何だろう?

という疑問が浮かんだのですね。あと、よく通っていた新木場agehaにでっかい広告用の看板がありまして、普段はお酒とかの広告が載っているのですが、この時は”Red Dead Redemption 2″の広告がドーンと載っていたのです。「え、こういうとこに載るゲームなの?」という興味もありました。

で、これが(別に批判とかではなくて)もうマジで『Black Messiah』やサマソニの時に盛り上がっていたはずの人々が軒並み、この新曲の報に対してノーリアクションだったんですよ。多分、ゲームへの提供曲っていうとどうしても「未発表曲」とかの印象が強かったんですかね。重要度が下がってる感じがしました。

でも自分の中では、「あのディアンジェロが楽曲を提供するということは、相当凄いゲームに違いない!!」と、(前作を遊んでないにも関わらず)確信しておりまして、周りの反応とのギャップに相当な違和感を感じておりました。もちろん観測範囲が狭かったんだろうなというのもありましたが、当時の自分のTLで本作を遊んでいる人は誰一人いなかったし、音楽メディアも総じて無視してるし、その新曲である”Unshaken”に言及してる人も皆無だったんですよ。いや、結構色々な人をフォローしていたはずなんですよ(「いや、自分は語ってたぞ!」とか言うのは勘弁してください。あと「別にそうでもない曲だと思った」というのもやめてください。)。

というか、多分その曲について語るためには”Red Dead Redemption 2″と”Unshaken”をセットで語る必要があると思うのですが、そういう言葉が無かったんです。回想すると、「片方に興味はあっても、もう片方に興味がない。だから別に良い」って感じでした。映画だとなかなかそうはならないじゃないですか。あの”Suicide Squad”だって、Skrillexの”Purple Lamborghini”を語る上では絶対に避けては通れない。でもゲームだとそれが通用してしまう。

「あれ、もしかしてゲームって音楽好きから、文化として軽視されてる?」

2年前の自分は生意気にもそんな考えを抱いたんですね。いや、相当生意気ですねこれは。

それでPS4をセールで手に入れた自分は、遂に「Red Dead Redemption 2」を遊んだわけです。そして、遂に”Unshaken”が使われる場面を目にするわけですね。

もうね、これは本当にプレイして実際に味わってほしいです。サクッと書きたいのでそうやって語ることから逃げておりますが、本当に凄い体験でした。もう、この場面にディアンジェロを起用しようと思ったロックスター・ゲームスの制作スタッフと、この場面に”Unshaken”を提供したディアンジェロ、双方があまりにも凄い。あれから反省して、色々なゲームを片っ端からプレイするようになりましたが、それでも「あの瞬間」に勝る体験は無いです。長い時間、主人公のアーサー・モーガンとしてプレイしながら紡いだ物語と彼を待ち受ける運命、そして当時の時代が生んだ状況に、歌詞の重なり、歌声や演奏、楽曲全体に強烈に漂う哀愁の念、その全てが完璧に一つのシーンを創り上げていました。

正直、自分も「音楽好きとしてゲームを若干軽視していた人間」の一人なんですよ。もう、心の底から反省しました。あれは本当に凄い。

今でこそ、結構多くのメディアが、例えばNMEとかがゲームを一つのカテゴリーに加えて語るようになりましたが、個人的にはまだまだだと思っています。結果として、先日寄稿させていただいた記事のような、2つの文化のクロスオーヴァーを語る機会を頂けるようにもなりましたが、自分としては「普段は音楽を語るこの人がこの作品を遊んだら、きっと良いテキストが生まれるだろうな」と思うことがそれはもう頻繁にあります。

あと、”Red Dead Redemption 2″で言えば、翌年の2019年に大流行したLil Nas Xの”Old Town Road”の最初のMVって実はこのゲームの映像を使ってるんですよね。その意味を考えるのも面白いじゃないですか(今は消しちゃったから、下の動画は他の誰かが上げたやつですけど)。

だからね、もっとみんなゲーム遊べば良いと思うんですよ。何より面白いから。と、非常に雑にまとめておきます。ていうか元々ゲームと音楽ってずっと昔からクロスオーヴァーしてきたんだから。そこの間にあるものを考えるのも楽しいから。僕だって語り始めたの去年からだから。もう叩かれたら折れるくらい細いんだから。これはもう普段思っていることなので、投げっぱなしで終わりたいと思います。以上!